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三島由紀夫の死と私
おすすめ度:
ランキング:55199
価格:¥ 1,575
発売日:2008-11-22
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ユーザーによるレビュー
読み応えのある三島論は、現代日本論でもある!
(2008-12-16)
本書を読了して先ず感じたことは、今の文芸評論家って何やってるの?ってことです。西尾氏は文芸評論から離れて久しいのに、三島由紀夫の死の問題を真っ向から論じて、しかも文芸評論としてもツボを抑え、小林秀雄と江藤淳との論争から二葉亭四迷の存在を起点に、文士と実行者の問題まで論じて、それを近代日本の宿命としてクローズアップさせることに成功しました。
このように本来なら文芸評論家が解決しなければならない問題を西尾氏は解決して、その上、天皇の問題、日本のアイデンティティの問題を現代に突き刺さる三島の提起した問題として応えようとしています。
この本はただの文芸評論でもなく、政治評論でもなく、文明論でもなく文化論でもありません。そういうジャンル分けを壊す新たな挑戦の書でもあります。著者の70過ぎにしてまだ衰えない知的探究心に驚きますが、それが西尾氏の最近の旺盛な知的活動に繋がっていると思います。
30年以上前にあった西尾氏と桶谷秀昭氏、西村幸祐氏との知的交流のエピソードにも驚きました。人間の不思議さと知性の強さを再発見したようで微笑ましい話でした。
本編より付録が素晴らしい。
(2008-12-09)
著者がかつて三島の死の三ヶ月後に発表した『不自由への情熱』という論稿が本書に付録として収録されている。これが実に素晴らしい。文芸評論として第一級。世に数多ある三島論の中でもこれほど正鵠を射たものはなかなか無かろう思われる。これが不遇にも長年陽のあたらない場所に眠っていた(眠らされていた)ということが(この辺の事情については本編に書かれているので読んでください)、非常に残念でならない。もっと早くに読んでいたかった。
既に三島論の類を数多く読んでいる三島ファンには是非読んでみていただきたい。
「文化防衛論」の中の「自由と権力の状況」は...スピーキングだった。
(2008-12-09)
西尾さんの著作からはこのところ遠ざかっていました。第一部は、著者による1970年直前の時代の回想です。そうでもしなければ、この時代の緊張感はもはや若い人には伝えられないとというわけです。当事者にとっても、もはや現実感のない夢のような残像なのかもしれません。著者はこの70年を境として、戦前の消滅という仮説を提示しています。第三章の「芸術と実生活の問題」は、三島の60年代後半の作品の基盤の解説ということになっていますが、一番むずかしいところかもしれません。著者は三島の行動を出来合いの理論やロジックで「解読」することはしません。そこに見出すのは孤独で戦闘的な、政治と芸術の激突という日本の歴史の一つのタイプなのです。散見される「孤憤」や「虚空」という言葉は解釈を拒絶します。でも、西尾さんらしく、今回の作品もあたかも三島の死を扱うように見えて、実はその奥に強烈な現代的な関心が秘匿されています。その部分が、かすかに姿を見せるのが、第4章です。その中の、「三島由紀夫(その2)」は三島の文化防衛論をベースとしながらも、「三島由紀夫の天皇観が甦る日の近いこと察知し始めているからです」とまで述べているほどです。ここではアメリカ発の金融不安と日本からのアメリカ金融侵略軍の撤退までもが言及されているほどです。でもこの部分にそこまで読み込んでいいのでしょうか。
三島の死を我がことにする半生私史/ただし江藤淳にこだわりすぎる
(2008-12-07)
西尾幹二は現代で存在感のある思想家の一人であろう。論争が好きなところがいい。ただし、都合の悪いところは無視もする芸ももっている。今回の著は、三島の死を我がことにするための時間がどういうものだったかを、私史としてまとめたものだ。西尾にとって江藤淳は目の上のタンコブだったようだ。これでもかこれでもかと、筆誅を加えている。その指摘の数々は、その限りでは妥当だ。だが、江藤は、三島の死後にあることを境に苦しむ。小林秀雄から、その受け止め方の軽さを公然と言われてしまったからだ。小林が指摘したのは、まあ、江藤の存在をそれなりに認めていたからだろう。だから、江藤は煩悶したと思う。さて、西尾の著作を小林が認識したとは思えない。凡庸だから。それを感じていない西尾の感受性は、それなりにいい。だから、今回のまとめができたと思われる。
